2021年08月31日

今の足にも飽きてきた

現在、足車としてE12ノートに乗っている。

 正直言って飽きてきた。主な原因はAT(CVT)のせいで、運転してて全く面白くない。私はクラッチバカバカ踏んでシフトガチャガチャ動かす事に全く面倒を感じないタイプの人間なので、機械については自分が使って「操作している感」が欲しい。諸兄は「CVTでもODとLが有るだろ、うまく使え」と言うだろうが、実際それを駆使したところで逆に面倒臭いという感情に苛まれて終わりである。せいぜい長い下り坂でエンブレを効かせるくらいでの使用実績しかないだろう。

 操作と言う意味ではAT(多段式)又はCVTでは操作感の一つであるアクセルフィール、ダイレクト感という物にも問題点がある。大概のATでは、現在主流の電子制御スロットルはECUの制御下にあり、アクセルペダルの踏み込み量と実際のスロットル開度は違う。主な目的としては燃費向上のために開度を絞る制御を行うのだが、もう一つ、ミッションの保護という目的もある。
 パワートレーンで故障のネックとなるのはMTではクラッチプレートであるが、ATであればそれはミッション自体である。確かにMTでもミッション又はデフのギア折れという現象が起きるが、それが起きるほど酷使するのであればクラッチの方が先に消耗しているはずである。トルコン式では、通常、ミッションを破壊するほどのトルクは発生しないが、ロックアップ機構付き等であっても、なんらかしらの制御が入ってしまい、結果、アクセルフィールを妨げる。なにもワイヤー式に戻せとは言わない、実際常人では不可能なほどの細密な操作が行われるレースカーも、今ではほとんど電子スロットルである。

 なにが言いたいかと言えば、性能の良し悪しではなく操作してる「感」が欲しいのである。現代の潮流にはマッチしないだろうが、たとえ最善最良の行為でなくとも、「私」が機械を操っているという「操作感」が欲しいという事だ。

 酔いが回ってきたので本当に言いたいことを書く。MTをガシガシ動かして車を運転したい。

 私の選択肢としてはほとんどないのだが、あえて選べばマーチニスモという選択肢はある。現在ノートというコンパクトカーを乗っているので違う車種をチョイスしたい。セダンが良いのだが、まぁまず日本車では無い。
 日産ではセントラという日本名シルフィ(この度、型落ち)のセダンがあるのだが、これにはニスモバージョンやスポーツグレードのSRがあって、それは6速MTでターボである。欲しい。
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2021年03月09日

シンエヴァを見てきた(ネタバレ)

せっかく公開日に行ってきたので忘れないうちに思った事を。
いつもの通り酔っ払って書いてます。

 結局監督がやりたかったことって終盤の裏宇宙?での「日常的な風景で巨人が戦う」というウルトラマン特撮だったのかな、と。記憶から再現された世界の、あのハリボテ感。いや、はっきりハリボテと書割で作られた”セット”なわけだが。

 エヴァの魅力の一つに「陰謀論的世界観」があるが、ベースは聖書と昔TVで流行ったオカルティズム。私は聖書も月刊ムー的世界観も門外漢なので詳しい解説してる人のレビューを見て納得して欲しい。そんな世界観のキーファクターを説明しないことで成り立つ歪な設定。死海文書には公開されていない部分がある。この辺は物語の核心になるわけだけど、裏死海文書やら外典?やら結局説明されずに終わった。いや、簡単にかるーくは説明してたけど。かなりドライに演出された。ぶっちゃけ個人的にはTVシリーズの時にもうちょい出しとけよと思わないでもないが、それだとここまで人気にならなかったかも。

 シンジ君は相変わらずヘタレだったけど、急に男前になる。「オヤジの落とし前は、きっちり!ワシがつけたるけんのぉ!」とか言ってた。新劇シリーズは劇場公開以来見てないんだけど、シンジ君、ちょっと躁鬱が激しすぎる。
 前半の田舎の描写、あれほど尺取る必要あったのか。体感1時間くらいあった。見てて「あーこれ後半畳み掛けるやつだ、でも今回2時間半あるし、旧劇の独白みたいな感じ入るんだろーなー」と思って、その通りだった。

 しかしさ、ゲンドウのアダルトチルドレンというか”大人”になりそこなったオッサンの独白。言わんとしてる事は分かるし、これまでの作品でも「ゲンドウは、ただユイに会いたいがために行動している」ってのは言及されていたが、いくらなんでも露骨すぎるだろと。後半の親子対決でバキか?(その辺読んでないけど)と思ってしまった。
 まぁシンジ君の成長物語って面もあるにはあるが、ちょっと違うがオイディプスコンプレックスか?と感じない事もなかった。そう感じさせるのはレイがユイのクローン的なものであるからか。


 うーん、最後はマリだったわけだが、作中庵野モヨコの名前が出てて、スタッフロールでもモヨコ氏のクレジットがあったので、「アレか、周りに馴染めなかったけど、彼女が出来て変わりました」って話か?と思ってしまったが、同様にシンジ=庵野、マリ=モヨコではないかってレビューを見て、俺だけじゃなかったかと若干安心した。ミスリードであって欲しい。

 全体的になんだかなーって感じ。カオル君は「まぁアンタ、そうなのね」って感じで、これと言って言及するところは無いかな、見ればわかる。
 他にも、田舎生活での綾波とか、ケンスケとアスカとか、ミサトさんとか、色々思うところはあるけど、酒が回って眠いので終わり。



 元々エヴァはオタク友達との共通話題の為に見たし、根本的に特撮とかロボとか好きなわけではないから私とは相性が悪い。好きな特撮は?と聞かれれば「ガンヘッド」という回答から察して欲しい。

 まともにエヴァの話題をしたことないので、好きな人からどこが面白いのか聞いてみたい。

ではまた
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2021年02月16日

「カラー・アウト・オブ・スペース」と「囚われた国家」を見た(ネタバレ)



※この記事は酔っ払いによって書かれています。


 月一年休取得を目標に月曜も休みを取ったわけだが、当初は「ロシア正教の千年」を読み終えて、積んでたプーシキンの「スペードの女王・ペールギン物語」でも手を付けようかと思っていたのにもかかわらず、結局3連休という長い休みにかまけてアニメと映画を見てしまった。なぜか休みが長いと思うと、休み前に考えていた予定はまったく出来ずに終わるのが今日この頃。
 別に読みたくもない本を読もうとしているわけでもなく、最近興味をもって読んでいるロシア文学の補強のためにと手に取ったわけで、熟読する必要もないわけだから、いくらでもペロペロ読めるはずなんだが。

 というわけで、以前から気にかけていた「カラー・アウト・オブ・スペース」と「囚われた国家」をアマプラで見た。「カラー」については近所で公開されていなかったので見に行かなかった。「囚われた国家」は行こうかなと思っているうちに終了していた。「地獄の黙示録ファイナルカット」はわざわざ公開週に東京まで見に行ったのに。気合の差である。

 「カラー・アウト・オブ・スペース」は20世紀初頭の怪奇小説家H・P・ラヴクラフト原作の映画である。原題通りのタイトルだが、邦題では「宇宙からの色」で最近の新訳では「異次元の彩色」や「宇宙の彼方の色」となっていたりする。
 過去に何度か映画化されてるらしいのだが、私はこれが初の視聴となる。原作については創元社のラヴクラフト全集の方で読んでいたので、どう映像化されたのか楽しみだった。主演のニコラス・ケイジも好きな俳優なので注目はしていた。パチンコー!

 今回の映像化に際しての変更点は、原作では20世紀初頭だったのが21世紀のアーカム(ラヴクラフトワールドの架空の市、場所はニューイングランド)になっている。語り手が市政府から依頼された水文学者であるのは一緒だが、現在進行形で映画は進む。原作では調査員が過去にあった出来事を住民から聞き出すという流れである。この辺の変更は映画としてのテンポや臨場感を増すためだろう。
 流れはおおむね原作に沿って進むが、映像的演出のために時間経過は数日(原作は1年)で、原作ではアミ(問題の一家、ガードナー家の友人)が体験した内容を、水文学者が直接体験するという描写。この学者の名前が「ワード・フィリップス」というのも面白い(原作では名無し、原作者の名前はハワード・フィリップス・ラヴクラフト、ラヴクラフトは自身をモデルとした作品も書いている)。
 他には原作にはないクリーチャーがしっかり映ったりする。ラヴクラフトは作品では「筆舌がたい」とか「名状しがたい」と言って直接的な描写を避ける傾向があるが、最近のホラー映画では避けられないと思う。同様のパニックホラーの傑作「エイリアン」では、少ない予算のちゃちな着ぐるみを隠すために、あえて薄暗い全体を映さない撮影がされたが、現代では採用できないだろう。現代の視聴者は過激な刺激に麻痺的である。クリーチャーの造形としては「遊星からの物体X」を思い出すもので、ジョン・カーペンターの影響を感じる。ラブクラフト世界観を元にした94年公開の「マウス・オブ・マッドネス」もほのかに香る。子供と融合した母親、4頭が融合したアルパカ。どれも体毛が剥げ落ちテロテロした粘液にまみれている。
 ストーリーは原作同様、片田舎の一軒家の井戸近傍に隕石が落下し、平凡な家庭が崩壊していくというもの。原作でも映画でもそうだが、落下物が残るような隕石なら周辺一帯がクレーターになるだろうという科学的推測は、落ちたものが未知なる宇宙生命体なのだから邪推というものである。きっとほどほどに減速して落下したのだ。
 映像的に言及する処はあまりない、未知の色彩のはずがガッチリピンク色だし、CGついては、まぁこんなもんだろって感じ。私はニコラス・ケイジが好きなので、終始右往左往する彼を見れて満足である。イカれたケイジ最高。個人的には色彩を失い灰色となって崩れ去るケイジを見たかったが。保安官が持つライト付きショットガン(M870?)がカッコ良かった。

 アマゾンのレビューで「水質と土壌を汚染するの物なのに電子機器が異常をきたすのはおかしい」ってのがあったが、原作の時代にスマホがあるわけないだろ。原作でも「強い磁性を帯びていた」とあるので特殊な電磁波を発していたのだろう(未知なる宇宙生命体ですし、おすし)。現代でも我々が使用する通信機器は、それ自体は電磁的に脆弱である。アマチュア無線機でも状況によっては受信するテレビ電波にノイズを起こす(TVI)。

 ともあれ、ラヴクラフト読者でパニックホラー好きとしては十分に満足できる作品だった。否定的な意見もあるけど、だいたい現代に生きる我々としてはラヴクラフトのコズミック・ホラーなど古典にあたるもので、小説でも漫画でも映画でも徹底的にいじり尽くされたジャンルなのである。真新しい物などありはしない。あんま肩ひじはらずに、そのまま視聴するのが正しい姿だと思う。



 次に「囚われた国家」だが、物語はエイリアン(侵略者)に統治されたアメリカ・シカゴが舞台で、そこで反抗を企てるレジスタンス活動が描かれる。エイリアン出てくるのでSFかと思いきや、これと言った交戦はなく、ずっとレジスタンス活動とそれを取り締まるエイリアンに従属する治安当局の追いかけっこがメインである。つまり、世界観はSFだが、SFの皮を被ったサスペンス作品である。こんな内容だが、これが結構見れた。テンポも良いし、作品世界観を反映した邪魔にならない程度の劇伴、プロット自体はしっかりしてると思う。
 しかし、作品自体は「反抗」というチープな題材で、SF設定は意味があるのかと感じてしまうが、レジスタンス活動といえばナチスドイツ体制下のパルチザンや中国・朝鮮半島の抗日活動でもなんでも良いわけだ。だが、歴史的背景をベースとしてしまうと、どうしても歴史的事実に引きずられてしまう。わざわざエイリアンを用いたのは、シンプルな「反抗」というテーマをぼやけさせないためなのだろうか。近未来が舞台で、現在確認されていないエイリアンを抑圧者と描くことによって、余計な雑音(歴史)をフィルタリングしたのではないか。

 この作品の主題の流れとしては、「反抗」から「反攻」へというものである。サスペンスと言えるのは、当初黒人青年やテロ実行犯が主役のように描かれるが、最後には治安当局の指揮官が実は反体制派の内通者で、体制へ深く潜り込むための作戦のだったというミスリードだろう。といっても、サスペンス見慣れてると「この体制側のやつ、実は反体制派だろう」とすぐわかる。
 それでも結構良く出来ていると感じるは、分かってはいても、どう物語が進行するのだろうとワクワクするところだろう。一本の映画、約2時間完結の作品としてちゃんと成立している。しかし、演出はかなりチープだ。内通者の警官が冒頭に怪しい女との会合、壁にはこれ見よがしに飾れる「トロイの木馬」の絵。妙に主人公を気に掛ける言動、これは公安や工作員が実際に行う懐柔手段だが、この辺はちゃんと「ミスリード」と見れる。だが、「敵を信じるな」「私の言う事を聞け」等のセリフは序盤から「私は内通者だよ」と読み取れて、若干萎える。クライマックスではご丁寧に「私は君の味方だよ」って映像が流れる。もっと隠せよ!何度も見てやっと真意に気づくくらい隠せや!

 この映画はつまらないと助言してくれた方がいるのだが、刺激中毒者には物足りない作品であることは間違いないだろう。エイリアンに対する反攻を謳っているような作品紹介であるが、実際はアクション無しのサスペンススリラーだ。助言者はID4やロス決戦、バトルシップを念頭にコメントしたのだろうが、私はこの手の作品も面白く見れてしまう人間なので、その懸念は杞憂という物だった。
 まぁ、「アクション作品」として考えれば50口径マシンガン(M2、DShK38等)が火を噴かない「アクション映画」など見る価値もない物だと思うが、この映画はサスペンス作品なのだ。



 なんとなく最近見た映画を備忘録的に記述して見たが、2作品とも肩の力を抜いて、時間の余裕がある時、リラックスして酒を飲みながら見る作品であるのは間違いない。間違っても粗を見つけてやろうとして見てはいけない。
 逆にレポートの提出期限や、プレゼンを目前にスライドの作成に追われ、現実逃避のために見るのは最適の映画ともいえる。つまり他の事を考えられない状況で、頭カラッポにして見れる最高のエンターテインメントともいえる。エンタメ映画はこういうのでいいだよ。エンタメ作品から「思想」や「哲学」を見ようとするな。1本の作品、2時間の作品、もしその中で語り切れないのであれば製作者の腕が悪いのである。作品だけを見て良し悪しを決める。決めるのは自分であって「評論家」の意見に耳を貸す必要はない。エンタメ作品とは自分の感性に合うかどうか、それ以外に判断する基準は存在しない。

今回はこんなところで
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2020年09月18日

急に文学に興味が出た

  ある日、あるブログを見ていたら「今すぐ本の読み方の類の本は捨てて、最近(2013年)文庫化したナボコフの文学講座を読め」という記事を読んだ。高校、大学と工業系まっしぐらで、現在も絶賛工具を振り回している私としては文学の文の字も分からん門外漢であるが、ここはひとつ、文学なるものを学部外履修してみようと思った次第だ。

 文学というものをイメージしてみると、「小難しい」「回りくどい」「話がつまらん」「何が言いたいか分からん」などと、およそ良い印象は持っていなかった。この辺は学校教育だけでなく、実家にその手の本が置いていなかったもの大いに影響していると思う。実際、親が本を読んでいる姿など、ほとんど目にしたことは無かった。そんなわけで、文学作品であるとか文学的であるとか言う言葉に苦手意識を持っていたし、その手の内容は「お前は○○も読んだことが無いのか!このサルめっ!」とお高くとまったインテリが他人をバカにする材料くらいに感じていた。

 と、まぁ文学だけでなく、親から「お前には風情が無い」と言われるくらいには、いわゆる芸術からは遠く離れた存在である私が、この本を読んではたして文学なる物の一端を理解できるのか興味をそそられた。

 著者であるナボコフは名前だけは知っていた。今では一般的といってもいいのだろうか、ロリコン(ロリータ・コンプレックス)という言葉、自称ロリコンの友人もいる中で、その語源となった作品「ロリータ」の作者であると以前なにかで読んだ記憶がある。最近のナボコフとの邂逅としては、映画「ブレードランナー2049」でレプリカントのKが基礎検査で行う問答はナボコフ「青白い炎」からの引用で、作中にもその本が登場した。その程度しか知らないが。

 このナボコフという男、本名ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・ナボコフ、調べてみれば興味深い人生で、ナボコフ家はロシア名門貴族で父は自由主義政党の幹部(亡命先のベルリンで君主主義者に暗殺される)。1899年ロシア帝国ペテルブルグ生まれ、ロシア革命によりドイツ・ベルリンに亡命するもナチス台頭によりフランス・パリへ移住(妻がユダヤ系ロシア人)。しかし、ナチが国境を越えたことでアメリカに渡ることになる。幼年期にフランス語・英語の教育を受ける。当時のロシア貴族の日常会話はフランス語だったそうで、ロシア語の習熟が遅れていた事が分かると父親は慌ててロシア語家庭教師を雇ったとか。これによりナボコフは世界的にも珍しい、マルチリンガル作家となった。といっても主な作品はロシア語と英語で、フランス語の作品があったかは知らない。

 この幼少の頃に家庭教師や父親からフランス・イギリス・ロシア小説を読み聞かされた事により、廣汎な文学知識を養った。豊富な読書体験は作家業のみならず亡命後の糊口を凌ぐ職として、大学教員の糧になったのは間違いない。

 ナボコフは「ロリータ」のヒット(現在の発行部数5000万部らしい)まで、大学で鱗翅目研究(専業作家になってからも生涯研究を続けていた)の傍ら文学を教えていた。本人はこの講義を自ら出版するつもりであったが、存命中には実らなかった。本書はこの意向を汲んだ有志によって編集・出版された。

 文学講座には「ヨーロッパ文学講座」と「ロシア文学講座」の2冊が刊行されている。ヨーロッパでは一つの作品について、ロシアでは著者についてといくつかの作品について触れられている。タイトルを列記するとマンスフィールドパーク(ジェイン・オースティン)、荒涼館(ディケンズ)、ボヴァリー夫人(フロベール)、ジキルとハイド(スティーヴンソン)、失われた時を求めて(プルースト)、変身(カフカ)、ユリシーズ(ジョイス)、ゴーゴリ、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフ、ゴーリキーである。いくら無教養とはいえ、いくつかの作品のタイトルや作者名は聞いたことがある。当然読んだことは無いが。
 
 文学講座自体には別の記事で触れようと考えているが、ナボコフは小説の読み方として、詩の正確さと科学の直感というものを挙げている。詩の正確さについては分からんが、科学の直感というのは彼が昆虫研究者としての観察力から来るものなのだろう。作中では「小説作品であれ、科学的著作であれ(この両者の境界線は、普通信じられているほどに明確ではない)」とあるので、本人としては決してかけ離れたものではないのだろう。
 また、読み方の観点として「永続する芸術と個人の才能」を挙げているが、ナボコフは芸術(小説)から思想や社会的問題、歴史的知識を得る事は出来ないし、そんな読み方は作者に失礼と説く。つまりは小説は御伽噺でありその世界観、作品に書かれた文章の中で完結すると。個人の才能については、その世界観を正確に描写し読者が精密に想像出来る文を完璧に書ける事らしい。「本当の芸術家とは、何事についても「言うまでもないこと」とは決して考えない人のことだ」と言っている。

 これ以上の講座の要約は次回にして、私は「自分も小説家なのによー言いおるわ」と思い「よーし、そこまで言うならオメーの本読んでやるわ」と考えたが、せっかく講義録があるので紹介された本から読もうと決めた。

 で、読み始めたのはロシア文学からだが、これはイメージとして「重そう」「寒そう」「カビ生えてそう」と全く良いイメージを持っていなかったからである。良く”これは読んどけ”的なランキングに入っているドストエフスキーとトルストイは置いといて、現在の日本ではあまり読まれない(らしい)ツルゲーネフとゴーゴリを読み始めた。これは講座の紹介の順番でもある。
 中島誠之助は「本物を見極める目は、本物を多く見る事で養われる」的な事を言っていた気がするので、世に言う傑作ど真ん中から当たるのが順当と言えば順当だが、小手先のジャブから様子を見るタイプの私は脇から攻めることにした。ゴーゴリやツルゲーネフはロシア文学の巨匠で決して4回戦ではないのだが、なにぶん知名度的(トルストイとドストエフスキーは無知な私でも知っている)な意味である。

 はたして私は文学を楽しめるのだろうか、現状では甚だ疑問である。
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2019年07月02日

アンノウン・ソルジャーを見た

一緒に見に行った友人が記事を書いていたので、俺も簡単に感想でも書こうかと思う。

鑑賞したのはフィンランド映画「アンノウン・ソルジャー」である。
この映画は1941年6月から1944年9月までフィンランド・ソ連間で行われた継続戦争の映画である。つまりガルパンのミカ・ハッキネンやミッコ・ヒルボネン、アキ・アジョを擁する継続高校の元ネタの戦争という事になる。
フィンランドの戦争映画というと継続戦争がなぜ「継続」となったのかの原因、冬戦争を描いた「ウィンターウォー」を思い出す。まだ見てない、後で見る。
友人は「フィンランドつったらムーミンとシモ・ヘイヘしか知らん」といった感じで、私も「オメェ、フィンランドといったらフライング・フィン、国技はラリーだろ」くらいの知識で見に行ったものだから、お互いに大丈夫か?という危惧はあった。まぁ劇中で説明されたので杞憂だったわけだが。

このアンノウン・ソルジャーは小説が原作で、3回目の映像化だそうだ。著者は機関銃中隊の一隊員として継続戦争に従軍した小説家ヴァイノ・リンナで、本国では有名な戦争文学だそうだ。そら3度も映画になってるんだから彼らの歴史なのだろう。
単にタイトルから直訳すると不明戦士といった感じで「は?MIAか?ゲリラか?」と思うが、正しい訳は「無名戦士」らしい。つまり超意訳すれば「名もなき兵士たちの戦場」あたりが作品の内容を表しているかと思う。
著者の体験を元に書かれた作品で、映画でも主人公、といっても群像劇的な演出になっている部隊は機関銃中隊である。使用するエモノはマキシム重機関銃である。この銃は水冷式でよくあるWWUの戦争映画ではほぼ出てこない旧式のイメージが強いかなと思う。19世紀のイギリス植民地戦争を思い出す人も多いと思う。実際は米軍もWWU初頭に水冷式のM1919(初期型)を使用してたりして、水冷式自体は骨董品と言うわけではなかった。HBO作品の「ザ・パシフィック」のジョン・バジロン軍曹も作中で使用している。ヤケドするシーンが痛々しい。
ただ、主人公達が使う武器は主にスオミ短機関銃である。印象的なドラムマガジンやストレートマガジンを使い縦横無尽に打ちまくる。Wiki情報だと発射レートは毎分750〜900発とあるが、映画では間違いなく900発仕様だ。劇中に登場するどの連発火器よりレートが高かった。

そもそも私が見に行った理由は「久しぶりにリアル過ぎて眠くなりそうな戦争映画じゃないか!」という感情と、ラハティ(公式HPだとラフティ)25mm対戦車ライフルが載っていたためだ。劇中での活躍はT−34の砲塔側面装甲に射撃、効果得られず逆襲の砲撃でふっとばされるにとどまった事だけは記しておきたい。


やっと映画自体の話になるが、いきなり継続戦争が始まる。マジでWWUのフィンランド下調べしとけば良かった…。一応先の冬戦争でロシア人にカレリア地方を奪われた復讐でヒトラー第3帝国と奪い返してやる!って説明があった。主な主人公は二人、ペーペーの新人小隊長カリルオト、冬戦争を経験したベテラン、六花ロッカ伍長である。戦争前夜に結婚した新任少尉、かたや家族を愛する伍長、共にパートナーに約束するのは「すぐに帰る」。この辺が「無名」の物語たる由縁なのだろう。決してシモ・ヘイヘは出てこない。
3年ちょいの戦争をヒューマンドラマ入れながら2時間なので駆け足進行になるが、当初イケイケドンドンでロシア人を攻めるフライング・フィン。冬戦争で不当にも奪われたカレリアに向かう徒歩行軍で国境線を越えるシーンはシビれる。映画トレーラーにもあるので見て欲しい。
そして快進撃を続けるフィン軍は旧国境を越え「俺たちは今から略奪者だ」。奪われた土地を過ぎナポレオンのグラン・ダルメさえ敗走させた大地へ進軍する。
諸兄も知っての通り、モスクワを目前にドイツのバルバロッサ作戦は失敗した。まぁナポレオンはモスクワまで行って敗走したけどな。
何かの本に書いてあったが「勝利はミスを隠すが敗北はミスを見逃さない」らしい。ドイツありきで侵攻したフィンランドは善戦虚しく敗走を始める。この辺、ドイツドラマ「ジェネレーション・ウォー」のセリフ「我々は1年で進んだ道を3年かけて戻った」を思い出した。
そして敗走を進めたフィン軍はついに奪還したカレリア以西にまで押し込まれ講和を行う。

結果的にはフィンランドはソ連と講和し、共同交戦国であったドイツ第三帝国と戦い敗戦国の汚名を免れ冷戦を通し独立を維持する。攻められてから連合国参加というとイタリアを思い出して仕方がない。

この映画はエンタメとして見れば実に冗長で退屈な作品である。決してマイケル・ベイ作品とかトニー・スコット作品とかジェリー・ブラッカイマー製作、ハンス・ジマー音楽気分で見てはいけない。心の準備は前大戦に従軍した祖父母、もし自分が行くとなったらと考えてみて欲しい。
そんな気分だと2度目の戦争となるロッカ伍長にかなり感情移入した。自分としては元自衛官として招集がかかったらどうなんだみたいな。身内の話では、私の祖父は日中戦争に従軍し故郷へ帰還したが、次の太平洋戦争で2度目の徴兵を受け南洋の島へ送られた事を考えずにはいられなかった。
ロッカ伍長は奪われた故郷カレリアを取り戻すという決意で、祖父は他国への侵攻という環境は違うが国に命じられ前線に赴いた無名の兵士である事に違いはないと思う。


といったとこでまとめに入りたいが、総じて「また見よう」と思える作品だった。
映画冒頭の空一面に低く立ち込める雪雲、イメージ通りのフィンランドの大地、松、雪原、積雪地迷彩に包まれた地割れの様にヒビの入ったおっさんの顔。そしてタイトル。このシーンだけで1800円の価値はあったかなと思う。
私の持論だが兵隊が良く歩く戦争映画は名作という基準から言えば本作品は名作である。地形・時代的な要素も多いが主人公達はマキシム重機関銃をかついで歩く、命令された場所まで歩き続ける。やっぱ歩けない兵隊はダメだよ。兵隊は歩けるが物資は歩けない、軽歩兵に動力車が配当される順序は低い。

当然飲酒投稿なので集中力が切れてきた。終わりにしようと思う。
戦争映画が好きなら時間の無駄にはならないはずだ。
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2018年03月07日

思い出話4

以前に続きを書くと宣言してから3年8ヶ月、最初の記事読んだ人が入隊してたら士長になってるか退職済みだな。

入隊して入隊式前までの期間は「お客様期間」とも言われ、教官陣は比較的優しいとされている。
が、初日から「入る前に聞いてた話と違うぞ!」と広報官に電話で怒鳴ってた奴や、2日目に班付からどやされてた奴もいた。文句垂れてた方は3日目にはいなくなっていた。入隊式前だから退職にはならんのか、どうだろう。
教育側には名称が色々あって面倒くさい。教官と呼ぶのは幹部からだったか、実際に新隊員を1か10まで面倒を見る陸曹陸士は助教と呼ばれる。大概は3等陸曹が班長で補佐として陸士長が班付になる。他にも規模によるが中隊長、区隊長、区隊付、補給陸曹等々いる。

で、一番理不尽でおっかないのが班付である。事あるごとに激烈指導やら終わらない反省をしてくる。自衛隊の厳しさは班付から学ぶことが多い。逆に言えば班付の言う事を聞いていれば大半の問題は片付くと考えてよい。
教育隊によっては班付がいないところもあるそうだ。私の知る限りでは武山の教育大隊(常設)は班付が居なかったそうだ。ただ空挺団から来た班長も多く、厳しい中隊や区隊はそれなりだそうだ。私の同期は大隊長命令で「暴力及び過度な反省・指導は禁止」となっていたそうで、へなちょこなのも居た。
私のように普通科連隊に臨時に編成される教育隊もある。あるというか任期制は常設の教育隊ではなく、普通科、特科、施設科などの実働部隊で教育を受ける。編成は臨時なんだが、大概は毎年編成される。私の1期下は採用数が少なかったため、任期制も武山で教育を受けたそうだ。理由は前年、私が入隊した年にリーマンショックが起こり、退職者減による採用減とのこと。自衛隊は総員の数が決まっているので退職者が少なければ採用も少なくなる。

話は戻り、入隊式までの10日間くらいは駐屯地・隊舎での生活を覚えることになる。被服交付やら階級章等の縫い付け、健康診断、体力測定、半長靴の磨き方、迷彩服のプレス(アイロンがけ)方法、ベッドメイク等々主に雑務である。
ベッドメイクは「自衛隊 ベッドメイク」や「米軍 ベッドメイク」で画像検索をかければ出てくると思う。

訓練としては入隊式までに基本教練なるものを教えられる。行進や敬礼など、俗に言う「軍人っぽい動き」である。本物の自衛官を育成するので、っぽいではダメであるから中々に厳しくはある。とはいえ高校や大学で教えてくれるわけではないので、「ごっこ」っぽくはなってしまうのだが。
教練中、班付からは「入隊式は駐屯地の部隊が集合してお前らを見る。今年の新隊員はクソだと思われないよう、しっかりやれ!」と檄が飛ぶ。このあたりで「おぉ〜、軍隊っぽい」と実感してくる。

入隊式が終わると本格訓練開始である。
先に書いた雑務であるが、これは自衛隊では服務と呼ぶ。服務は公務員で使用される用語で「服務規程」となって規則化されている。自衛隊の規則を司るのは「自衛隊法」になるが詳細は知らん。たぶん公表されているはず。
ちょっと脱線して、自衛隊特有のといっていいのか、義務がある。これも自衛隊法に記されているものだが、
・指定された住所に住む義務
・上官の命令に従う義務
・品位を保つ義務
等々、他にもあったが忘れた。入隊した場合は暗記するまで寝られないので、必ず覚えられるので心配はない。服務は品位を保つ義務に入るので、だらしない服装や言動は特に指導対象となる。とともに自衛隊で最も機能していない義務なのは、ニュース報道などでお分かりになると思う。ルールがあれば必ず破る者が出てくるのは世の常である。
他にも戦闘間一般の心得とかいうのもあった気がする。自ら進んで上官の指揮下に入る、とかそんなの。12個くらいあって、これも覚えるまで寝られないので心配ご無用。

本格訓練が始まるとまずは体力作り、取り合えず走らされる。最初は3km次は5kmといった具合に増え、最終的には体育訓練で10km走らされた後にフル装具で2時間くらいハイポートさせられるようになる。
今は変わったそうだが、私の頃の体力検定は腕立て、腹筋、3000m走、ソフトボール投げ、立ち幅跳び、懸垂があった。合格ラインは高校で運動部に入っていたなら余裕でクリアできるが、出来る奴は徹底的に上を追及され、出来ない奴は顔から出る汁を全開にして懸垂していた。フルメタルジャケットに影響された助教がいると、ここで「あぁ?!懸垂の1回も出来んのか!努力してそうなったんか!コラァ!同期を背負って懸垂出来るまで鍛えてやる!」と檄られる。

自衛隊の筋トレは指導・反省にも利用される。昔は正座が主流だったようだが、ケガの原因になるので今では少なくなったと聞いている。無いわけでは無い。屈み跳躍や腹筋、空気椅子など色々あるが、やっぱり自衛隊といえば腕立て伏せである。
イメージは昔放送していた筋肉番付の腕立て決勝を思い出してもらえればいい。知らん人は動画サイトで確認してくれ。
自衛隊、なんでも規則化するのが好きで腕立て伏せの姿勢も決まっている。おかげさまでシゴキで腕立て伏せの姿勢を取り続けるなんてものもある。腹と背中に鉄板が入ったかのような直線を維持しなければならないが、長い時は30分以上姿勢をやらされて生まれたての小鹿の様になる。
試しに10分くらいTV見ながらやってみると良い、たぶん腰を悪くする。
自衛隊生活切っても切れない腕立てはこの時、体に叩き込まれる。基本的に激烈指導とかになると1時間以上腕立てをやるので、慣れるとエロい事考えたり週末の予定を考えたりしてやり過ごすようになる。時間が経つのが地獄のように長く感じるので、逃避するのである。

体力作りが本格化するように、服務も激烈に厳しくなる。ベッドメイクが汚いや水筒に水が入りっぱなし等で、知っている人は知っている台風と呼ばれるシゴキというかイジメだが、助教によって部屋中を滅茶苦茶にされる。大概その時に戦闘服のプレスが甘いやつは人形を作られる。私の場合は2段ベッドが屋上に上げられていた。
フルメタでデブがドーナツを隠していた小箱、アレをフートロッカーという。自由の無い居室でもフートロッカーだけはプライベートスペースになるので貴重品をそこにしまい、鍵をかける。当然鍵は自動ロックではなく南京錠かシリンダー錠なので、かけ忘れるやつが出る。「俺がこの世で最も許せないのは鍵のかかっていない小箱だッ!」と班付に見つかり「無くなったものがないか確認してやる」といって逆さにされて中身がドバー、たまにカビたパンが出てきたりする。そして中身を戻したフートロッカーを持って説教を聞きながら空気椅子、「同じ姿勢も疲れただろ?」と言われ屈み跳躍に移行、「足も疲れただろ?」となり最後は背中にフートロッカーを載せて腕立てでFAといった感じである。

課業時間内では体をイジメ、課業外では精神と体をイジメられるルーチンが3ヶ月続く。教育期間後半は慣れてくるので、ただ面倒くさいとしか感じなくなる。

訓練はそれ以外にも引き続き基本教練、班員を歩かせる分隊教練、銃の分解結合、射撃、掩体掘り等々様々な教育がある。私の記憶では、銃を武器庫から出したら大概最後にハイポートをした記憶がある。ハイポートは銃を持って走る例のヤツである。マニアでさえ武器を出したくなくなるくらいには辛い。

基本教練では、イメージしやすい敬礼や方向変換?右向け右等の他に、銃を持って行う執銃時の基本教練も行う。控え銃(つつ)や担え銃である。これも種類があって、執銃時の気を付けの立て銃、構え銃、下げ銃等々色々ある。かなり忘れた。
分隊教練は班を移動させるときに使用する号令で、縦隊右へ進め、分隊止まれ、駆け足前へ進めなど、列外に出て怒鳴ってるやつである。メシ行くのも風呂行くのも移動は全て部隊行動となるため、分隊教練が下手くそな奴が指揮を執ると側溝に落ちたり、反対方向に進んだりと大変である。あまりにだと同期から舌打ちされたり、課業後に同期から呼び出されて説教されたりもする。助け合いの精神である。
銃の分結は、特にこれと言ってないが、致命的に不器用な奴は分結の時間になると覇気がなくなる。部品を落として腕立ては風物詩にもなる。「規制子(ガスレギュレータ)さん、ごめんなさい!」と言いながら延々腕立てをする。
ある時、部品を落とした奴が腕立てをして班長から「どうだ?許してくれたか?」と聞かれ「ハイ!規制子さんは、もう俺の事はいいから他の部品を整備しろと言ってます!」の回答は座布団1枚だった。

他にも座学があるが、はっきり言って覚えてない。
暗記が苦手な奴は相当苦労してたが、コレはやってく内に覚えるので記憶に残らなかった。たまに新しい規則を作って助教に笑われたりしたぐらいである。

3か月目になると行進(行軍)や戦闘訓練、総合訓練などイベント盛りだくさんになる、射撃についても書きたいが、今回はこの辺で後日書くつもり。

といって前回は3年以上空いた
posted by FNG at 02:31| Comment(0) | 思い出話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

練習

ワイヤレスキーボードの電源が頻繁に落ちるようになったので新調したのはいいが、いまいち手になじまない。
前のモデルより若干大きくなったのが原因か、地方だと品ぞろえも悪く、実際にタッチして使用感を確かめられないのが辛い。
購入してそんなに期間は経ってないが、キータイプが億劫になるのはいかんともしがたい。
今度サバゲの買い物がてら秋葉に行った時にでも物色したい。

ともあれ、現状に慣れる事も損ではないので、ひっさしぶりにブログでも書いてみる。
サイズもアレだが角度も大きく影響している。とりあえず電池パックを下敷きにして良い角度を探ってみよう。
ロジクールのメカニカル式を使っているが打鍵感が前のモノより悪い。方向キーの位置も前より離れていて使いづらい。

安物買いの銭失いとはこの事か、今打ってるだけでも肩が痛くなりそう。

ふと思い出話の続きを書こうかとも思ったが、これは苦痛になりそう。

近況は異動してはや3年、特に大きい動きは無し。以前にもまして仕事に身が入らない。4月の昇給次第では変わるのだろうか。

映画や本もいくつか見たり読んだりしたので、その感想も備忘録的に投稿しようとも思ってはいるが、どれもこれも思っているだけである。

そんなとこ
posted by FNG at 00:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月26日

映画「ダンケルク」を前にして

どうも

ここ最近、夜の空き時間を使って映画を見ていることが多い。
週末に映画館へ行くことも増えてきた。
元々映画を見るのが好きで1日中映画館に居た時期もあったが、いつの間にか熱が下がりとんと行かなくなっていた。私の好きなアクション娯楽超大作が少なくなっていたからかもしれない。

そこで「ダンケルク」になるわけだが、タイトル通り1940年のダイナモ作戦が行われたダンケルクが舞台である。監督はクリストファー・ノーラン。
ノーランと言えば「インセプション」や「インターテスラー」、「バットマン」シリーズが思い浮かぶ、ガチガチのエンタメアクション作品を世に送り出す奇才だ。この監督が実話ベースの作品をどう料理してくれるのか今から楽しみである。
が、それまでの方向性と違った作品なので、不安も大きい。前評判ではアメリカで大好評みたいな情報が飛び交っている。信用できたためしがない。
結局のところ見てみない事にはなんとも言えないのだが、ワクワクできる作品が待っているというのも映画好きとしては嬉しい限り。

エンタメアクション作品といえばエクスペンダブルズが在りし日のハリウッドを彷彿とさせ、大変満足した記憶がある。
シュワルツェネッガー主演復帰作のラストスタンドも面白かった。
この作品も幼少期に見た夜の映画放送を思い出させる良いアクションだった。監督が韓国人というのも時代の流れを感じさせる。
だが、ラストスタンドについては一考を要するシーンがあった。ラストのカーチェイスでコルベットとカマロが最新型だった事。作品のテーマとして新旧対決を押し出していたのだから、シュワの乗るカマロは60年代の初代にしてほしかった。シボレーが金を出していたのか、トランスフォーマーで満足しておけ。
ここのところシュワの歳もあってか一線を退いた役が多くなってきている気もする。

エンタメアクションは車を撃てば大爆発!家を撃っても大爆発!とりあえず炎と煙の量が大切だと常々思っていて、頭カラッポで「なんかスゲー、けど内容は良く覚えてない」というくらいがちょうど良いとの持論を持っている。

昨今「この物語は実話・史実を元にしている」系が多くなったと感じる。昔からこの手の作品がなかったわけではないが、戦争を舞台としている作品でメディアが「超大作」とか「世界を席巻」みたいな文句を使うジャンルではなかったと思う。
思い出すのは98年「プライベート・ライアン」、01年「ブラックホーク・ダウン」なんかは実話ベースであることをしきりに宣伝していたようなきがする。
その後「ウインドトーカーズ」「ジャーヘッド」「ローンサバイバー」「アメリカンスナイパー」「ハクソーリッジ」やら、あのマイケル・ベイも「ベンガジ」という2012年アメリカ在外公館襲撃事件を描いた作品を撮っている。彼唯一の実話ものではないか。別に実話ベースが嫌いなわけでもないし、装備や時系列の間違いを列挙して非難する趣味があるわけでもないので大いに結構なのだが。バンド・オブ・ブラザースなんか何度も見直した、映画ではないけれでど。

しかし、個人的な見解ではエンタメしているアクション映画が見たいのだ。
そうエクスペンダブルズのような。
または「MADMAXフューリーロード」
MIは3がつまらなかったので敬遠していたのだが、最近ゴースト・プロトコル、ローグ・ネイションを見たら相当に面白かった。ボーン・アルティメイタムも良かったし、ジェレミー・レナーのレガシーも面白かった。レナーを見るとSWATのギャンブルを思い出すのは印象が強かったからか。

この辺の中間をうまく突いていたのはブラッド・ピット「フューリー」だろうか。時代は2次大戦で主人公の所属は実際に存在していた部隊である、アメリカ陸軍第12軍集団第1軍第7軍団第2機甲師団第66戦車連隊(たぶん)だが、ストーリー自体はオリジナルだ。

話は戻って、9月公開「ダンケルク」どのような作品になるか楽しみだ。「フューリー」並みの出来なら円盤も買って何度も見直したいところだ。

では

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posted by FNG at 22:46| Comment(1) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月18日

ニール・ブロムカンプ

どうも

5月23日にニール・ブロムカンプ監督のチャッピーが公開される。
テーマは子供への教育らしいが、それは見てから書こうと思う。
とりあえずシガニー・ウィーバーとヒュー・ジャックマンが出るらしいので期待。というかチャッピー役はシャールト・コプリーか。第9地区じゃ主役だったし、エリジウムでは敵役だったな。ニールと共同のスタジオだか制作会社らしいが、出すぎだろと思わんでもない。

このニール監督、現在はカナダ在住らしいが出身は南アフリカ共和国の首都ヨハネスブルクで、アパルトヘイト後の混沌とした時代に青春を経験したとか。色々と思うところが多いらしく、第9地区では差別や隔離といった問題をテーマにしていた。エリジウムも格差をテーマにしていて、今回は教育ときている。

こう書くとバリバリの社会派だが、本人は日本のアニメーション大好きのオタクらしい。第9地区でビカスが強化外骨格というかアームスーツを使ったのは、士郎正宗の影響だと公言しているし、チャッピーに耳がついているのはアップルシードのブリアレオスが元ネタになっているとか。
アームスーツから発射されるミサイルの機動はマクロスのオマージュとか。どおりでオカシイ飛び方してたと思った。なんだか妙にメカやガジェットのデザインセンスがアニメ的だったのはそれが原因らしい。チャッピーでも有人2足歩行兵器が登場する。ヒューが搭乗。

中々日本びいきみたいでエリジウムでは改造したR35GTR出てきたし、今回も出るような雰囲気。

そんな監督の次回作はなんとエイリアンだとか。今回の撮影でシガニーと意気投合したそうで、彼女はニールの作るエイリアンこそが正統後継だと言っているみたいだ。リプリーを終わらせるのはニールだとか。時系列では2の続編に当たるらしい。
デヴィッド・フィンチャーにメールの一本も書いた方がいいんじゃないかと思ったが、まぁ、本人も話題にされたくないみたいだから大丈夫か。
ジェームズ・キャメロンが制作予定のプロメテウス2とは完全に関係ないものとなるようだ。

期待値は高いが、変に日本アニメ描写とか演出が入らなければいいが、杞憂であって欲しい。

そんなとこで、では
posted by FNG at 03:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月16日

ラン・オールナイト

どうも、最近「龍三と七人の子分」とか「ワイルドスピード」とか観賞したのだが、記事を書く気になれず4月放置になってしまった。

そんなところで、今回はリーアム・ニーソン主演「ラン・オールナイト」の感想でも書こうかと思う。
公式HP http://wwws.warnerbros.co.jp/runallnight/index.html

主演のリーアム・ニーソンは最近悪党殺してばっかいる気がする、主に96時間の事だけど。ただし今回のリーアムはCIAでも航空保安官でもジェダイでもなく元殺し屋のオッサン。しかも殺し屋といっても町のギャングで「俺は特殊なスキルを身につけている」とかは言わない。だが冒頭5分でわかる、くたびれたダメ人間ぷりはスゴイ役者だと関心する。ブライアン・ミルズと同一人物は思えない。

敵役はエド・ハリス。渋い

今作で気になった役者はジョエル・キナマン。彼を知ったのはジョゼ・パジーリャ監督作品のロボコップでマーフィー役を熱演していた。今回はダメオヤジ役のリーアム、組織のボス役エド・ハリスの間で若さを発揮できていたと思う。今後の活躍に期待したい。

物語は簡潔にまとめると、親友である組織のボス(エド)の息子をリーアムが殺していまい追われる。という単純明快なものである。ただ、脚本が割かれているのは親子愛。
義理と人情、秤にかけりゃ義理のが重い男の世界。で生きてきた主人公が息子のため奮闘する。壮絶に。
ストーリーが単純なので素直に楽しめる作品となっていて、終盤のリーアムとエドのシーンは、もうオッサンだけの映画でいいじゃないかと思うくらいである。見て楽しめるエンターテイメントに仕上がっている。

私はこーゆーの大好きです。

アツいシーンはリーアムのリボルバーさばき。若い頃使っていたいぶし銀のリボルバー、ネットによればスタームルガーのGP100とのこと。使いふるした感が出ている傷の付いたステンレスモデル。
こいつを手馴れた感じで扱うリーアムが渋くてカッコイイ、数多の修羅場をくぐって来たに違いないと確信させる演技。特にリロードのシーンは興奮してしまった、近年稀に見るガンアクションだ。

頭カラッポで見れる良い映画なので、ぜひ劇場で。

今回はこんなところで、では
posted by FNG at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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